大嫌いだった父を敬えるようになった話
運命を変えた父の言葉
音楽業界から離れる一年ほど前のこと、私はひとつの重要な決断をしなければならなければなりませんでした。
それは、東京に移り住むか、このまま地元の兵庫に残るかです。
私の希望は東京に移り住むことでした。
東京に通えば通うほど、大都会の暮らしに憧れを持つようになったのです。
しかし、東京に移り住むとなると病気の父を1人残していかなければなりません。
当時、父は特別養護施設にいましたが、父のことに対応できる家族は私だけだったので、状況的に私が地元から離れることは気が引けたのです。
しかし、状況とは裏腹に私は東京に住むことへの憧れが日に日に増していきました。
そんなある時、転機が訪れました。
それは父がお世話になっている介護施設を尋ねた時のことです。
当時父を担当していた、介護士さんから父の普段の様子を聞く機会がありました。
介護士さんいわく父は普段「息子さんの話をよくされていますよ」とのこと
いったい何の話をしているのか聞くと「息子は音楽を頑張っている、応援している」といった話をしているというのです。
認知症で記憶の時間軸も定まっていない父が、はっきりとそう話したというのです。
さらに、私が衝撃を受けたのは介護士さんの次の言葉でした。
「お父さんは常々、『息子の人生の足だけは引っ張りたくない』と言っていますよ」
と言っていたのです。
病気になるほど暴飲暴食がやめられず、母にも医者にも何度も愛想を尽かされた自己中心で頑固な父がそう言っているというのです。
私はその話を聞いた瞬間、父の想いを知ると同時にある決断をしました。
それから、数日もしないうちに私は介護ベットに横たわる父と目を合わせながら言いました。
「東京に行ってくるよ」と・・・・
認知症が進行した父は、私が何の話をしているのかもわかっていなかったかもしれません。
でもその時だけは私と目を合わせながらはっきりと
「あぁ」
と父は小さく返事をしました。
なんとも、素っ気なさや寂しさやいろんなものが混じっている返事でした。
頭では理解していなかったのかもしれませんが、父は直感的に私が何を伝えようとしているのかを受け取ったのかもしれません。
それから、3ヶ月もしないうちに私は東京に移り住むことになりました。
必ず月に一度は、地元に帰り、父に会うことと諸々の対応をするという条件でです。
私が地元に帰る度に、病が進行していく父の姿をみて戸惑いました。
日に日に痩せ細り、立つことも出来なくなり、車椅子生活になり、言葉もうまく発っせなくなり、最終的に私が誰なのかも認識できなくなりました。
そんな父を見る度に、自分が東京に移ったのはよかったのか、親不孝な息子ではないかと罪悪感や悲哀を感じることが多々ありました。
そして私が東京に移り住んで3年後、私が25歳の時に父は亡くなりました。
引きこもり時代は大っ嫌いで絶対にこんな大人になりたくないと、反面教師にしていた父ですが、今では大きな敬愛の対象になっています。
あの日の父の言葉がなかったら私は東京にもいませんし、後のセラピストやコーチにもなっていなかったと思います。
※続きは近日更新