私の人生観に影響を与えたこととコーチになった経緯について

このページではリクエストがあった、『私の人生に影響を与えた出来事』やが『コーチになった詳細な経緯』について紹介しています。

本当にめちゃくちゃ長〜い話なので気が向いた時にでも覗いて頂ければと思います。

(※2020/11/11現在更新中)

生まれてから〜15歳の引きこもり時代まで

12歳まではごく普通のでっかい小学生

私は平成元年に兵庫県の高砂市という田舎で生まれました。

大手食料品メーカーに勤める父と専業主婦の母、3つ上の姉と私の核家族の環境で育ちました。

この時代は特筆すべきところがないくらい、ごくごくありきたりな少年期です。

学校の成績も平均ぐらいで、年相応に友達と毎日遊びふける少年でした。

強いてあげるならめちゃくちゃ太っていたことで、幼稚園から小学一年生ぐらいまでよくいじめにあっていました。

当時流行っていたドラゴンボールの敵キャラの『魔人ブウ』とよく呼ばれていましたね(笑)

しかし、幼少期の頃はわりとめげないというか、鈍感だったんでめげずに楽しく学校には通えていました。

この体験から、私が思っていたことは『人を見た目だけで判断するやつは最低だ!』と思っていました。

今思えばこの経験が人の心の痛みに寄り添うセラピストやコーチになるきっかけのひとつになっていたのかもしれませんね。

突然の母の死と家庭崩壊

私の人生の最初に大きな影響を与えたのは、私が小学6年生の時に突然母が他界したことでした。

母はガンだったのですが手術でガンを摘出し、完治に向かって自宅療養している時の突然の死だったのです。

当然父も、姉も、私も現実を受け入れることは出来ずに悲しみにあけくれる日々が続きました。

残された3人で一致団結して、悲しみを乗り越えようとしたのですが結果的に家庭の空気は日に日に悪くなっていきました。

父は元々、病気持ちで高血圧症や糖尿病を患っていました。

そして、認知症の症状が進行してきて精神状態も安定しなくなっていったのです。

姉は、母の代わりに家事をこなしながら学業もこなしていましたが無理がたたったのか、幻覚症状を発症する統合失調症という病気になってしまったのです。

そんな精神状態が安定しない父と姉は、ある時を境に毎日のように大喧嘩するようになりました。

それはもう、親子喧嘩というレベルではおさまらないくらい激しいもので救急車をよんだことも何度かあったくらいです。

そして私は、母を失ったことによる自責の念と周りへの疎外感や妬みの感情に囚われていました。

母が死んだのは「自分が母にわがままばっかり言って甘えていたせいだ」と思っていました。

そして、周りの同級生とも妙に距離感を感じるようになったんですよね。

周りは励まそうとしているのですが、当時の私は同情的な言葉をかけられるのも非常に嫌いでした。

かえてって心のなかで「お前になにがわかるんだ!」って反発していたと思います。

日に日に愚痴っぽくなっていって、何人か絶交した友達もいましたね。

今思い返しても、当時の私は腫れ物を触るみたいで非常に付き合いづらいやつだったと思います。

そして母の死から、一年も経たないうちに私は中学生になったのですが学校の環境に馴染めず、半年も経たないうちに引きこもりなったんです。

完全に社会の落ちこぼれだった引きこもり時代

引きこもりに時代は2年以上続きましたが、その間全くといっていいほど印象的な思い出がありません。

14歳の時なんて一年で家を出た回数が両手で数えられるくらいでした。

引きこもりになった当初は、当然、父や学校の先生、親戚などがなんとか私を復学させようとしていました。

なぜ学校に行きたくたくないのか?という詮索から始まり、お前の将来はダメになるぞという話になるわけです。

当時はニートという言葉すらまだなく、ひきこもりなんて社会的にあり得ないということが常識だったからです。

私も私で全く心を閉ざして口を噤んでいたので、周りの大人からすればお手上げだったでしょう。

正直にいうと、私は上っ面でああだこうだ判断する大人が本当に大っ嫌いでした。

(なかには本当に私のことを想ってくれていた人もいるかもしれませんですけどね)

非常に内気でコミュ障だった為、勇気を出してやっと出た言葉もうまく伝わらず、後悔することが多かったんです。

完全に社会から孤立化した私はもういつ人生が終わってもいいと思っていました。

当時は、『2006年頃に地球に隕石が衝突して人類が滅びる』というノストラダムスの予言のような迷信が流行っていてその予言が本気で当たればいいと思っていました。

だから、もう好きなだけ食べて、寝て、テレビゲームして、ネットで遊びふけって予言の時に死ぬというのが愚かな私の人生設計でした(笑)

運動もせずに好きなだけ食べていた私の体重は、最終的に128キロまでいきました。

もうこの時期は一生分の陰気と怠惰を詰め込んだような期間でしたね。

しかし、私は自らこのひきこもりから脱却することを決意することになります。