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15歳〜22歳・ひきこもり脱却〜ミュージシャン時代
ひきこもりから抜け出すために大変身
ある時を境に私はひきこもりから社会復帰することを決意します。
年単位でひきこもっていた人間にしては珍しいかもしれませんね。
大きなきっかけがあったという訳ではありませんが、私は社会復帰して普通の学生に戻りたいという願望は日に日に強くなっていたのです。
最初はちょっとした家事とか掃除とかから始め、少し外に出て有酸素運動したり、食事制限したりとダイエットも結構しました。
すると若くて代謝もいいから、あっという間に体重が減るんです。
怠惰にまみれた生活から、ちょっとした成果や充実感を感じるようになって光明が差し込んだように感じました。
すると、半年間ぐらいで体重が30キロぐらい落ちたんです。(ちょっと異常な減り方とは思いますが・・)
この勢いに乗って、一年以上しなかった勉強も再開することにしました。
すると、父や学校の先生も私を見る目が変わってきました。
最終的に、私は高校受験にもなんとか受かり、中学の卒業式にも出席してなんとか社会復帰することが出来たのです。
将来の進路に悩んだ高校生時代
ひきこもりから抜け出し、高校に進学できたのも束の間、私は高校生活に馴染むことが出来ずにまた不登校になってしまいます。
そして姉と同じ、統合失調症を発症してしまったのです。
しかし、幸いなことに通っていた高校に心を病んだ学生向けの特別なクラスがあって、課題を提出するだけで進級することが出来たのです。
学校生活にも問題ありましたが、私にはそれ以上に大きな悩みがありました。
それは父の問題と将来の進路です。
父は持病である認知症が進行し、仕事どころか日常生活がまともに送れないほどに症状が進行し、入退院を繰り返していたのです。
姉は統合失調症で精神病棟に入院していたので、実質私が父の問題に対処することになりました。
さらに、進級できているからよいものの、『卒業後の自分の人生』が全く見えていませんでした。
せめてもの対策として、飲食店でアルバイトを始め、一年で100万円近く貯めたのです。
必死にお金を貯めたのは将来、決めた進路に活気よく進めるようにでした。
しかし、『ハローワーク』や『職業適性診断』などを受けてみてもいまいち将来のヴィジョンが見えてこなかったんです。
このままじっとしても何も決められないと考えた私は、いわゆる『自分探しの旅』をすることにしました。
人生で初めて『東京』に行くことを思いついたのです。
はじめての東京で自分探しの旅
1週間ほどの期間を取り、私は人生初の東京へと向かいました。
はじめて新幹線に乗り、新幹線の異常なスピードにカルチャーショックに受けながら関西からたった3時間ほどで東京駅に到着しました。
東京駅におりたった時に見た景色は圧巻でした。
広すぎるホームにぎっしりと多くの人がひしめき、行き交っている景色です。
圧倒的な大都会の洗礼に浸りながらも私はあてもなく、山手線に乗り込み、東京の旅をスタートさせました。
旅の目的は東京滞在中に将来の進路を決めること。
しかし、そのヒントを得るために、東京で具体的に何をするかも決めていません。
ただ、行き当たりばったりの無計画な旅でした。
結果的にいえば、約1週間の東京滞在中はほとんど観光で終わりました。
著名な観光名所をただ巡るだけです。
大都会のカルチャーに刺激を受けたのは良かったのですが、
本来の目的である将来の進路に繋がるような発見はありませんでした。
結局旅の最終日になって、渋谷のベンチで座って項垂れていました。
すると、いかにも怪しそうなスカウトの人に声をかけらたんです。
それは、エキストラ事務所のスカウトでした。
直感にしたがってミュージシャンの道へ
スカウトに連れられて、いかにもB級な芸能事務所っぽいところに案内されました。
そして、いかにも田舎者があこがれそうな芸能界の仕事の概要と収入例を紹介されるわけです。
自分には縁のない世界だと思っていたんですが、ひとつだけ気になったお仕事がありました。
それは『シンガーソングライター』です。
そういえば、自分は昔からクリエイティブなことに夢中になるタイプだったと思ったのです。
積木遊び、自分なりの物語を想像したり、戦略ゲームなど0から自分の創作物をつくることが好きでした。
音楽なら可能性があるかもしれない。
コミュ障な自分でも音楽を通してなら、気持ちを表現できるかもしれない。
きっと東京にきたのは音楽の道を志すきっかけを見つけることだったのだ。
というなんとも強引な直感にしたがって私はシンガーソングライターを目指すことにしました。
スカウトされた事務所は怪しさがあったり、関西から東京通うわけにもいかないので結局断りましたが、自分なりに音楽の道を切り拓いていくことにしたのです。
音楽に投資し続けた3年間
今振り返ればシンガーソングライターを目指すことは非常に無謀な決断だったと思います。
当時は18歳でまた若いとはいえ、CDもまともに聞くことがないし、楽器すら習ったことがありません。
あるのは若者の特有の勢いだけです。
そして、プロを目指すなら人一倍、音楽について学びと経験を積まなければならないと思っていました。
アコースティックギターを買って、ギター教室に通うことから始め、
ボイトレ教室を掛け持ち、ピアノ、ベース、ドラム、音楽理論、DTM、音楽に通じることならあらゆる教室に通いました。
音楽も邦楽、洋楽、年代、ジャンル関わらず、あらゆる音楽を聴くことが習慣になりました。
バンドを複数掛け持ちし、セッションイベントに通っては演奏に明け暮れる日々です。
最終的にはニューヨークを訪れ、ブロードウェイのアーティストやブルーノート主演のボーカリストから直接学ぶこともしました。
そんな学びと経験に投資し続けた期間が3年続き、最終的に私はインディーズの音楽事務所に所属することが出来ました。
しかし、結果的に私はそれから一年もしないうちに音楽業界から離れることになったのです。