私の活動におけるミッションは
人をより希望に導くこと
です。
なぜこのようなミッションを掲げるのか…
それは私の少年期での体験と私の家族との関係からきています。
育ってきた環境
経歴で記したように私は12歳の時の母との死別をきっかけに家庭環境に大きな試練が訪れました。
突然の別れは家族の精神状態に大きな亀裂を生み、父と姉は警察沙汰になる程の親子喧嘩を繰り返す日々
非常に心の安息を感じられない毎日でした。
さらに私は学校を不登校になり、2年以上の月日の殆どを実家から一歩も出ることなく過ごしました。
父を始め、周りの人達は私の将来に対して悲観的、絶望的な意見を持つ人が大半です。
私はその意見に反論すら出来ず、理解されない悔しさを胸に留めました。
そして将来に対して投げやりになり、現実から目を背けた毎日を過ごしました。
ようやくそのような状況から抜け出せたかと思ったら今度は父の持病の糖尿病が悪化し、認知症の症状が悪化しながら何度も入退院の日々を送る父
しかし、命に危険が迫ると分かっていても父は医師から止められていた酒と暴食をやめられませんでした。
怠惰に流れる理由
父は口癖のように言っていました。
「これしか楽しみがない」と
けれど心に余裕がなかった私は父の意見を単なるワガママとしか思えません。
健康のためだと言いつつ、父の唯一の楽しみの機会を奪うように酒と食事を取り上げます。
しかし、それが本当の意味での根本的解決には至りません。
結局、最後まで父は酒と暴食を止めることができず、晩年を介護施設のベットで寝たきりで過ごしました。
日に日にやせ細り、かつての面影をなくしていく父の看取りをしながら私は深いやるせなさを感じました。
もっと優しさと理解を示しながら接すれば良かったのだろうか
もっと違う接し方をすれば父も以前の活力を取り戻しただろうか
後悔を覚えつつも、何をすれば少しでも良い方向に向かえたのだろうと日々思案しました。
その時に気付いたのは父のあの「これしか楽しみがない」という口癖です。
父が感じていたもの
その時、問題は父の自制心にあるのではなく、父が生きている楽しみを酒と暴食にしか見出せなかったことに問題であったのではないかということに気づきました。
最愛の母を失った父はその後の人生をどう生きるか…
その意味を見出すことが難しかったのではないかと。
裏を返せば父のあの命を削る行為は父なりに必死に生きる糧を見つけようとしていたのかもしれません。
父が本当に求めていたのは目先の欲の解消ではなく、希望だったのではないか。
私も引きこもりの時、将来に対して希望がなかった。
だから怠惰に流れ、本能的に目先の欲を満たすしかなかった。
人は生きる目的を失えばその命を削る方向に流れるのかと思いました。
希望を持ちづらい現代社会
世の中を見渡したとき、同じように希望が必要な人は多くいるのではないでしょうか。
それは自分だけではなく、自分の大切な人に対しても
未来に希望を持つだけで人生を大きく切り拓いていける人々は沢山いるのではないかと。
日本人が幸福を感じる頻度は20代の前半がピークで、その後の人生は下がっていく人が大半だそうです。
これがどういうことかというと極端に言えば、年をとればとるほど幸せを感じられなくなっていくのです。
なぜそういう現象が起きているのか
それは将来に対して悲観的なイメージを植え付けられたり、ネガティブ体験によって学んだ人が多いからだと私は考えています。
未来には無限の可能性があるのにネガティブな刷り込によって輝かしい未来を閉ざしている人があまりにも多くいるように思います。
引きこもりだった当時の私は128キロの体重にただテレビゲームして食っては寝るだけの社会のはぐれ者でした。
それが今となっては体重も半分近く落とし、東京でプライベートサロンを経営し、結婚をし、家族にも恵まれることが出来ました。
もちろん楽な道のりだったわけではありませんが、根幹にはこうなりたいという望みがあったからこそ、一つずつ望みを叶えられたと自負しています。
だから私は人々に対して新たな可能性を見せられる人でありたい。
どんな時でも、どんな状況でも寄り添い、希望を持って生きている人
未来に対して強い望みを持ち、挑戦し、活き活き生きる人達を世の中にどんどん増やしたい。
そんなヴィジョンを見ながら日々、多くのことを学んでおります。